私が私を祝えた日。誕生日を言えなかった私の心理
1月14日。今日は、私の誕生日。
今まで、あまり公言してこなかった誕生日。
あ、個別には普通に言ってますが(笑)
積極的には言わないような…
Facebook等では、あえて設定しないまま(?)過ごしてきました。
でも今年、今朝参加した倫理法人会のモーニングセミナーで、「なんか言えるかも…」と思って、ちょっぴり勇気を出して「今日、誕生日なんです」と口にしてみたんです。
すると、
「おめでとう」
「生んでくれたお母さんに感謝する日ですね」
そんなジーンとくる言葉をたくさんもらって。
お菓子を手渡してくれた人。
家にケーキを届けてくれた人。
胸の奥が、じわーっと温かくなりました。
そして、それにプラスして嬉しかったのは、誕生日を公に言えた自分自身でした。
なぜ、今まで言えなかったんだろう?
なんで今まで言えなかったんだろう…年がバレる?(笑)いや、SNSで言ってるし。
改めて…59歳になりました!
振り返ってみたら、たぶん私はずっと、
・祝われる側になること
・注目されること
・受け取ること
を、どこかで遠慮していたんだと思います。
「私なんかが」
「わざわざ言わなくても」
そんな無意識のブレーキ。
だいぶ手放したと思っていたけど、まだ自分を後回しにする癖は残っていました💦。
ちなみにChatGPTにこの心理を聞いたら、3コ書いてくれたけれど、そのひとつが
『「祝われる側」「もらう側」に立つこと=遠慮が働いていた。
祝われる=
-
迷惑じゃないかな
-
大げさに思われないかな
-
私なんかが…
という自己抑制です。
これは自己肯定感が低いというより、他者配慮が強すぎる人に多い心理。』
だそう…
ひとつ、コンフォートゾーンを超えたら

今日、ほんの小さなことだけど、ひとつコンフォートゾーンを越えたら、世界は、思っていたよりずっとやさしかった。
「言わないから何も起きない」…昨日と同じ平穏な日々を今まで選びがちだったけど、言ってみて起きた変化に、昨日とは違う今日に嬉しさと心地よさを感じました。
これは「片づけ」と同じだな、と思いました
これ、片づけも同じだなと感じました。
ずっと押し入れにしまい込んでいたモノを勇気を出して出してみたら、
「あ、これ大切だった」
「もう要らなかった」
そんなふうに、本音が見えてきます。
自分の気持ちも、言葉にして外に出してみて、はじめて自分で認識したり大切にできるのかもしれません。
今日は、私が私を公に祝った日
今日は、生んでくれた母に感謝し、私が私を公に祝った日。
もし今、
・遠慮がクセになっている人
・自分を後回しにしている人
・主役になるのが少し怖い人
がいたら…
私も、同じ道の途中にいます。
完璧じゃなくていい。
一気に変わらなくていい。
一緒に、少しずつ、自分が思い込んでいる枠の外へ出てみませんか。
意外と楽しかったり、心地よかったり、解放された気分だったり…そしてきっと、「あ、これが私だった」
そんな感覚に、出会えるかもしれません。
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